ソフトロックデュオ「シールズ&クロフト」の歌手でマンドリン奏者だったダレル・“ダッシュ”・クロフト氏が、心臓手術の合併症により3月25日に死去した。85歳だった。プロデューサーのルイ・シェルトン氏がフェイスブックで訃報を認めた。
1940年8月14日にテキサス州シスコで双子の姉妹ドロシーと共に生まれたダレル・“ダッシュ”・クロフト氏は、ドラマーとして音楽キャリアをスタートさせた。地元のバンド「クルー・キャッツ」でジム・シールズ氏と出会い、その後「ザ・チャンプス」に加入。同バンドは1958年のインストゥルメンタル曲「テキーラ」の大ヒットで名声を得たが、この曲にクロフト氏は参加していない。クロフト氏は1971年のローリング・ストーン誌のインタビューで当時をこう振り返っている。「あの曲がヒットした時、僕らは皆、恐ろしくなった。文字通り一晩でスターになったんだ。……でも、本当に過酷な生活だった。あらゆる意味でね。ずっとバスでツアーに出ていたから」。二人は「ドーンブレイカーズ」に短期間所属した後、1969年に「シールズ&クロフト」を結成し、クロフト氏はマンドリンに転向した。マネージャーのマーシャ・デイ氏を通じて1960年代半ばにバハイ教と出会い、その教えは彼らの音楽や対外的なメッセージにも影響を与えた。1973年、クロフト氏は「結束、地球の統一。それが私の念頭にある唯一の目標です」と語っている。1969年のデビューアルバム『Seals and Crofts』、1970年の『Down Home』、1971年の『Year of Sunday』といった初期のアルバムは穏やかな成功を収めた。1972年の『Summer Breeze』でブレイクを果たし、同名タイトル曲はビルボード・ホット100で最高6位、アダルト・コンテンポラリー・チャートで最高4位を記録した。その後も「Diamond Girl」や「We May Never Pass This Way (Again)」などのヒット曲が続き、1975年のベスト盤『Greatest Hits』は200万枚以上の売り上げを記録した。1974年には中絶反対を訴える楽曲「Unborn Child」を発表し、物議を醸してラジオ放送禁止処分を受けた。1980年の『The Longest Road』の後、ワーナー・ブラザースとの契約が打ち切られたが、2004年にはアルバム『Traces』で再結集した。シールズ氏は2017年に脳卒中を患い、2022年に他界している。シェルトン氏は「親愛なる兄弟であり音楽のパートナーが今日、旅立ったという知らせは悲しい。彼の家族と多くのファンに愛と祈りを捧げます」と記した。家族は声明で「深い悲しみと感謝を込めて、私たちはその慈愛と素晴らしい思いやり、そして美しく優しい歌声で世界中の人々の心を鼓舞した一人の男性を追悼します」と述べている。