伝説のギタリストでソングライターのスティーブ・クロッパー氏が死去した。ブッカー・T. & the M.G.’sの創設メンバーであり、スタックス・レコードでのメンフィス・ソウルの音を形作った主要人物で、84歳だった。クロッパー氏は2025年12月3日、ナッシュビルで死去。家族が訃報を明らかにしたが、死因は公表しなかった。数十年にわたる影響力のあるキャリアで、オーティス・レディングやサム&デイヴらのヒットを形作った。
背景と初期のキャリア
ミズーリ州生まれ、テネシー州メンフィス育ちのスティーブ・クロッパー氏は14歳でギターを手にし、ロイヤル・スペーズを共同設立。これがマーキーズとなり、スタックス・レコードの最初のハウスバンドとなって1961年に「ラスト・ナイト」でヒットを記録した。クロッパー氏はブッカー・T.ジョーンズ、ドナルド“ダック”ダン、アル・ジャクソン・Jr.とブッカー・T. & the M.G.’sに加入し、1962年のビルボード3位ヒット「グリーン・オニオン」などのインストゥルメンタル・クラシックを生み出した。
ソウル・ミュージックへの貢献
スタックスのA&Rディレクター兼ギタリストとして、クロッパー氏の簡潔でソウルフルなスタイルが1960年代のレーベルサウンドを定義した。オーティス・レディング、サム&デイヴ、ウィルソン・ピケット、カーラ&ルーファス・トーマスらの録音に参加。レディングの「(Sittin’ On) The Dock of the Bay」、エディ・フロイドの「ノック・オン・ウッド」、ピケットの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」などの不朽のヒットを共作。「ソウル・マン」のサム&デイヴの曲ではアドリブで「プレイ・イット、スティーブ!」と呼ばれている。
1967年のレディング機長事故死後、クロッパー氏は24時間以内に「ドック・オブ・ザ・ベイ」を完成させ、1969年のグラミー賞リズム&ブルース最優秀楽曲賞を受賞。同曲は没後チャート1位を獲得した。
後年のキャリアと遺産
1970年にスタックスを離れたクロッパー氏はメンフィスにTMIスタジオを設立し、ジョン・プライン、タワー・オブ・パワーらをプロデュース。リンゴ・スター、ロード・スチュワートと共演し、1970年代後半にブルース・ブラザーズ・バンドに加入、アルバムや1980年・1998年の映画に出演した。ブッカー・T. & the M.G.’sと再結成公演を行い、最終ソロアルバム『フレンドリータウン』は2024年グラミー賞にノミネートされた。
1992年にバンドでロックの殿堂入り、2005年に作詞作曲家殿堂入りし、2007年にグラミー生涯功労賞を受賞。通算2度のグラミー賞受賞、9回ノミネート。「スティーブ・クロッパー氏のアメリカ音楽への貢献は大きいが、ソウルとR&Bへの貢献は計り知れない」とソウルズビル財団CEOのパット・ミッチェル・ウォーリー氏。家族は「彼が奏でたすべての音符が…彼の精神と芸術が今後世代を超えて人々を感動させ続けることを保証する」と語った。妻アンジェルさん、子供のアンドレア、カメロン、スティーブン、アシュリーさんが遺族。