2002年にRun-D.M.C.のDJ、ジャム・マスター・ジェイが殺害された事件に関与したとして、ジェイ・ブライアント(52)が4月27日に有罪を認めた。ブライアント被告は、ジェイソン・ミゼルさんが射殺されたクイーンズのレコーディングスタジオへ実行犯らを入れる手助けをしたとして、最低15年の禁錮刑に直面している。裁判の開始直前に有罪答弁が行われた。
月曜にブルックリン連邦裁判所で行われた審問において、連邦殺人罪に問われていたジェイ・ブライアント被告は、無罪の主張を翻し有罪を認めた。2023年5月に起訴され当初は無罪を主張していたブライアント被告だが、ミゼルさんに対して銃が使用されることを知っていたと認めた。同被告は裁判官に対し「ジェイソン・ミゼルを撃つために銃が使われることを知っていた」「自分がしていたことが間違いであり、犯罪であることも認識していた」と語った。量刑判決では最低15年から最高20年の禁錮刑が言い渡される見込みで、当初の公判予定日は5月4日だった。ブライアント被告は、スタジオに忍び込んで裏口を開け、実行犯らがミゼルさんを奇襲できるようにしたことを告白したが、他の関与者については名前を挙げていない。検察当局によると、事件は2002年10月に起きた麻薬取引の失敗に端を発しており、当時37歳だったミゼルさんは処刑スタイルで射殺された。現場の帽子からブライアント被告のDNAが検出され、目撃者のタナ・デイビスが同被告が現場にいたと証言していた。2024年には陪審員団がロナルド・ワシントン被告とミゼルさんのゴッドサンであるカール・ジョーダン・ジュニア被告に有罪評決を下したが、後に判事がジョーダン被告の有罪判決を動機立証の不足を理由に取り消しており、ワシントン被告は控訴している。事件については矛盾する証言も浮上しており、検察側はジョーダン被告が射撃手でワシントン被告がドアを封鎖していたと主張する一方、弁護側はブライアント被告こそが発砲したと主張し、同被告の叔父レイモンド・ブライアントによる「甥が『自分がやった』と告白した」という証言を引用した。ブライアント被告の弁護士はコメントを控えている。ジョセフ・ノセラ連邦検事補は捜査を高く評価し、「ミゼル氏が冷酷な処刑スタイルで殺害されてから20年以上を経て、徹底的な捜査によりブライアント被告の役割が明らかになり、本日ついに本人が有罪を認めた」と述べた。この有罪答弁は、20年以上続いた事件の進展を意味する。本名ジェイソン・ミゼルのジャム・マスター・ジェイは、ジョセフ・シモンズ、ダリル・マクダニエルズと共にRun-D.M.C.を結成し、「It’s Tricky」や「Walk This Way」などのヒット曲で1980年代のヒップホップを牽引した。パブリック・エナミーのチャックDは彼を「Run-D.M.C.の中心」であり、「ミスを犯さない」正確無比なDJであったと評している。