京都で、27歳の番場健吾氏が150年続く家業の染工場を、伝統的な黒染め技法「黒染め」を洋服に応用することで蘇らせている。祖父の病で閉鎖の危機に陥った工房を母親が引き継ぎ、今、番場氏が「黒より黒い」色を追求し、伝統を現代に繋げている。
京都の中京区、織田信長が亡くなった場所近くに位置する番場染工場の工房では、柳の水と呼ばれる鉄分豊富な名水が湧き出ている。この水は千利休も愛用したもので、黒染めの技法に最適だ。27歳の番場健吾氏は、3年前に家業に加わり、2023年1月に6代目当主となった。
黒染めは19世紀に京都で確立された技法で、歌舞伎役者や相撲力士が着用する家紋入りの正式な黒留袖の絹地を染めるために用いられる。工房は1870年に創業し、初代はローウッドなどの植物染料を使い、褐色の黒を実現した。3代目で化学染料により深い黒が達成され、4代目の祖父・公三氏(2008年74歳で死去)は独自の「秀明黒」を開発し、評判を呼んだ。
2006年、公三氏が肺がんで余命2年と診断され、工房閉鎖の準備を始めたが、娘で番場氏の母・真木氏(60)が引き継いだ。需要減少の中、元テキスタイルデザイナーの知識を活かし、洋服の染色を開始。リユース需要で注文が増え、3人の子を育てながら一人で続けた。
番場氏は建築を学び家具メーカーで働いていたが、21歳頃、母の肩の脱臼と1000件超の注文で手伝いを求められ、週末に大阪から通うようになった。ジーンズの染色失敗がきっかけで本格的に学び、母の指導のもと祖父の研究ノートを参考に技法を磨く。
現在、洋服向けの新「秀明黒」を開発中。試行錯誤の末、満足のいく黒を実現したが、「まだ十分ではない。日光や経年で褪せない黒を」と謙虚だ。母は「美しい黒」と称賛する。伝統の保存のため、洋服への応用を進め、留袖の復活も視野に、京都の文化を担う。
「家紋入りの正式な着物が減る中、黒染めを洋服に適用して守る必要がある」と番場氏。職人としての道は始まったばかりだが、情熱は伝統の重みを支えている。