沖縄県読谷村の陶芸家、島袋恒英さん(77)は、壺屋焼の伝統を守るために登り窑を使い続けている。2025年に沖縄県の重要無形文化財保持者に指定された彼は、琉球王国時代からの菊唐草文様を筆で描き、父から受け継いだ蹴回し式のろくろを使用している。資源の減少に直面しながらも、この技法を大切にしている。
壺屋焼は1682年、琉球王国が沖縄本島の3つの窯を那覇市の壺屋地区に集約したことに始まる。伝統的なシーサー像が観光客の土産物として有名だが、日常の食器も知られている。
島袋さんは那覇市壺屋地区生まれ。1987年に父の工房から独立し、登り窯の独特な風合いを求めて沖縄本島中央部の読谷村に移った。第二次世界大戦の沖縄戦で壺屋地区は大きな被害を免れたが、都市化による煙の影響で多くの陶芸家がガス窯などに切り替え、登り窯を堅持した人々が読谷村へ移った。
その一人、国指定重要無形文化財保持者だった金城次郎(1914-2004)氏は1972年に読谷村に金城次郎窯を築き、年に3回大量の陶器を焼成している。島袋さんもこの窯を使用する。
11月10日午前9時、工房の面々が集まり点火式が行われた。島袋さんが最年長として「生まれよ」と唱え、火を入れた。窯は6つの焼成室を持ち、8つの工房が共有。島袋さんの区画は深さ3.5メートル、幅と高さ約1.8メートルのアーチ型屋根の火煉瓦製。
点火から40時間後の11月12日午前0時40分頃、赤熱した室に薪を入れ、3時間以上かけて1200℃超まで温度を上げた。小瓶を取り出して釉薬の溶け具合を確認後、入口と窓を土で封じ、ゆっくり冷却した。11月18日に陶器を取り出し、島袋さんは満足げに「素晴らしい」と語った。
沖縄の赤土を主に使い、釉薬を施して焼成する技法が主流。鉄分豊富な土は沖縄本島産だが、希少性から価格が高騰している。9月上旬、欠陥品を慎重に壊して水を加え、機械で練り直す作業では、島袋さんが手触りで水量を調整する。
「資源は限られ、年々減少している。私たちはそれを大切にしたい」と島袋さんは述べた。50年以上使い込んだ父のろくろは琉球松製で、「体がこの動きを覚えているから電動は使えない」と彼は言う。